日本列島域における先史人類史の総合的復元方法の研究

科学研究費補助金(学術変革領域研究(A))および(基盤研究(B))(領域・研究代表者:山田康弘)のブログです

拙著『つくられた縄文時代』についてあれこれ

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 11月27日に新潮社から『つくられた縄文時代 日本文化の源像を探る』という書籍を刊行することができました。刺激的なタイトルと,何じゃこりゃという帯のためか,そこそこ売れ行きは良いようです。

 心配なのは,こういったタイトル等がつくと,いわゆる「暴露本」のような「出歯亀」的な読み方をする人が出てくるのではないかという点です(どうやら懸念は的中したようですが(苦笑))。本人はジャーナリスティックな本に仕上げたつもりは無く,あくまでも「縄文時代・文化とはなにか」という点を考えてみたものです。

 当初『縄文とはなにか』というタイトルを希望したのですが,出版社側からは「それでは売れない」との答えがあり,かなりの協議をした結果,現在のタイトルとなりました(
タイトル等に関する著者の葛藤については http://www.shincho-live.jp/ebook/nami/2015/12/201512_09.php もご覧ください)。なお、最初の帯については「捏造を連想させる」と私が主張して一度は拒否しましたが認められず,話し合いの結果,重版時に変更していただくことになりました(なお,この度めでたく重版され,帯は変更されました)。

 考古学的素養のある方が,本書を「きちんと」読んでいただければ,縄文時代史を明治時代から説き起こす理由(理由は多々あるのですが,しかし考古学史をキチンと勉強していれば,石器時代研究史を明治から始めるのはある種ルーティンワークだとお判りいただけるはずなんですが・・・)もご理解していただけるはずですし,戦後においては,詳細な研究成果が統合される前に縄文時代が狩猟採集経済で貧しく平等な社会であると発展段階的歴史観から教科書的に規定されてしまったことが,その後の縄文時代研究の「足かせ」となってしまったこと,しかしながら80年代の調査成果がその「足かせ」を外そうとして,大いにもがいたことを跡づけるためにも細かく縄文時代遺跡の調査成果を追いかける必要があったということを,ご理解いただけると思います(このあたりはかつて愛知県犬山市で開催された考古学フォーラムでお話させていただいたことに沿っています)。

 さらには,本書においては階層化社会論そのものではなく,その出現の背景(階層化社会論そのものの存否,および詳細な研究史については,すでに各発表論文および拙著『老人と子供の考古学』および『人骨出土例にみる縄文の墓制と社会』にて検討済みですので)を論じる意味や,縄文文化の多様性を示すために教科書的な縄文時代のイメージとは異なる中国地方の事例をあえて取り上げるといった点も,お判りいただけるでしょう。

 本書刊行後に,多くの方々から様々なご意見をいただきました。特に,東北地方のある研究者の方からは,「縄文ポピュリズム」の観点から「岡本太郎」の功罪について,是非とも触れるべきであったとのご指摘をいただきました。この点につきましては,私自身も見落としていたことであり,次なる機会があったときに十分に検討をして採り入れたいと考えています(その後,いろいろと東北地方の研究者の方々にインタビューをさせていただいたり,自身で文献を当たっているのですが,「岡本太郎の縄文ポピュリズム」の核心にはまだ到っていません)。

 なお,第5章は,編集者側からの要請によって付加されたもので,精神文化の面で保美貝塚における調査研究の一部を盛り込んでいます。考えれば考えるほど,縄文の精神生活は複雑で,難しいですね。

(2016年1月16日追記)